前回 8月に日光医療センターで取れなかった鎖骨の下にある5センチ程の悪性腫瘍を取るために壬生の獨協医科大学病院に再入院になった。甲状腺がん治療でこんなに大きくなった腫瘍を取る手術は初めてのケースと主治医の先生が言っておられた。。一回開いてしまった患部、ましてやがん細胞は他の所に転移してしまうリスクを伴う、さーどうしよう?2,3日過ぎたある日朗報が飛び込んだ。本来なら3ケ月待つという入院がキャンセルがあって9月10日に入れるようになった。異例の速さの2週間後だ!速攻お願いしました。僕にもまだまだ運があるのだと思いました。まだ傷も治らないまま日光医療センターを、8月26日退院。 次の入院まであと2週間やる事がいっぱいありました。通販のマカロン300ケ お店用ケーキの仕込み、9月10日のクシタニ 走行会のケータリング200食の 用意と段取り、まるで病人の出来る仕事量ではない!気力とは恐ろしいもので全部こなした。 9月10日入院の日がクシタニの走行会。あさ4時起きで筑波サーキットへ行き朝8時までに用意して、あとはみんなにまかせて、10時に入院しました。手術は次の日の1時に・・・・・1ケ月の間に全身麻酔を2回、体にかなりのリスクがある。
手術当日 血管外科、心臓外科、耳鼻咽喉外科でチームを組み最悪の場合にはICUも入れるように手配された。手術は4時間程かかり思ったよりうまくいったようだ。目が覚めると私の体から2本のドレーンが出ていて全く動けず息苦しく辛かった。 その夜はうなされて悪夢のような時間が過ぎていった。2日目は1時間おきに自力でトイレに行ってその度にものすごい汗をかき看護師さんに着替えさせてもらった。甲状腺とリンパと筋肉と血管を切除してしまったのでホルモンのバランスが狂い体調は最悪でこんなに苦しいことは生まれて初めての経験だ。2つのドレーンは毎日血でいっぱいになりなかなかきれいにならず傷口も普通の人より塞がるのが遅く先生も心配していた。毎朝の処置は傷口から細い管を入れ切開した体の中を洗浄した。そのあとのテーピングが何しろ息ができない程きつく巻かれて苦しかった。10日程してドレーンが取れ少し動きが自由になった。喉の筋肉を取ってしまったので食事の飲み込みが難しく30分ぐらいかけてやっと食べた。病院食は一般的にはまずいと言われているが私は美味しくいただきました。ただ栄養が足らないので看護師さんに何か一品おかずを増やして下さいと言われ毎日納豆や温泉卵を食べた。3週間を過ぎたころ筋肉の衰えを防ぐために毎日朝昼晩と廊下を歩いた。病院の部屋は個室にしたため自由にできた。毎日音楽をかけ、壁にはバイクの写真をギャラリーのように貼りお見舞いに来た友達にはコーヒーをだして、まるでカフェのようだと言われた。退院する頃にはバンド仲間とギターを持ち込みミニライブをやってお見舞いに来たお客さまに聞かせた。これも個室のいいところ?退院間際に3日間の外出許可をもらい内緒でバイクに乗ってしまった。(笑い)入院は40日間かかった。長かった!声帯が動かないのでささやき程度しか声が出ないのでコミニケーションが取りずらい。これから放射線治療がまだまだ続く。完治はいつになるのか!!今回も諸先生方や看護師さんにいろいろとお世話になりありがとうございました。